
輪るピングドラム 20話「選んでくれてありがとう」
の感想を
”きっと何者にもなれない人”
未来を断たれた者達へ送られる、この言葉
可能性が無い 救いが無い 愛が無い、それはつまり死ぬことと同じだな
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逃げる者と追いかける者の、たとえ話
お互いに逃げる者になったら、その恋は実らない
追いかけたって振り向いてくれない、とてもみじめ
どうやら「陽毬」は、どちらを選んでも苦しいジレンマの中にいるようだ
「陽毬」の追いかけている相手って、まさか「昌馬」か?
たしかに恋人うんぬんの前に、家族という壁があるし
「昌馬」は「陽毬」を”家族”として愛している
普通に考えたら、その恋は実らないという結果はみえているな…
でも、”恋”は理屈や理論でON/OFF出来るものでもないから
簡単に解決できる物でもないな
「陽毬」は、今ある家族を取るのか、先にある果実(愛)を取るのか…
どちらに転んでも、胸の痛い選択だな

どうやら「高倉(親)」は「冠葉」の幻ではなく
本当に生きて今も組織のトップだったんだな…
前々から気になっていた、組織の目標
『何者にもなれない者達』を、この世界から排除するために行動しているようだが
事件を起こし人を殺して、それでどう実現しようとしているかは不明なままだな
これではただの人殺し宗教のように見える…
あの地下鉄事件は、何の目的で起こしたんだろうな…
いまだに、いい方向に事態が動いているようにも見えないし
もしかしたら、この組織は世界を変える手段を持ってないのかもしれないな
そしてあと一つ
どうやら「真佐子」の親は、この組織とつながりがあったようだが…
なぜ「冠葉」が「真砂子」と一緒にいるんだ!?
どうやらこれが、前に言っていた『偽りの家族』に関係ありそうだな

真っ暗な中で見つけた小さな光
小さくても、その光は「陽毬たち」を暖めてくれた
でも、その小さな儚い光さえも「陽毬たち」から奪い去っていったな・・・
前々から、「陽毬」には何か消極的な部分があるように感じていたが
どうやら、この頃の出来事が原因だったようだな
家族の前の話か・・・
「陽毬」は、愛には限りがあるという世界の仕組み知っていて
自分へ愛が消費しつくされえてしまう恐怖に、怯えていたんだな
消費されて、消えてしまう恐怖に
「高倉」がくどいほどに、激論していた気持ちも分かる気がしてきた
こんな小さな体には、到底収まりきらない絶望を背負わさせるなんてな!!
確かにこれを見過ごすのは、許すことができない
けど・・・・・・

小さな思い出を抱きしめて、透明に進む「陽毬」
あまりに理不尽で、あまりにむごい その結果に「昌馬」は・・・
居場所を断たれた「陽毬」に救いの手を差し伸べる「昌馬」
その救いの手は、きっと「陽毬」に生きる意味を与えたんだろう
生きる意味さえあれば、消えることもない
まさに「陽毬」を救う唯一の手段にして、これ以上にない最高の贈り物だったろうな
それが『運命の果実』なんだろうな
これが二人のつながり
「陽毬」運命を切り開き、万々歳のように見えるけど
「昌馬」はなぜか全部自分のせいだと言う・・・
もしかしたら、「陽毬」は話のスタート地点に過ぎないのかもしれないな
始まりが終わりがあるものだけど
何処からがスタートで何処がゴールなんだろうな? 今日この頃~
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